連載の1~3回目では、はるか2,400年ほど前にさかのぼって、古代ギリシアの哲学の誕生期の哲学者(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)を取り上げました。今回は、一気に近代のはじまり、今から400年ほど前に活躍したデカルトの哲学とプログラミングとの関わりを紹介します。

デカルトについて

デカルトのことを簡単に紹介すると、近代哲学の創始者であり、その後の近代自然科学の推進に貢献した、とまとめることができます。「我思う、故に我在り」という言葉が有名ですが、実は、この言葉によって人間はプログラミングが利用できるようになった、と言っても過言ではありません。そのことを説明したいと思います。

なお、デカルトは数学者としても革命的な仕事を残しています。2つの実数を平面上の点の位置(座標)によって表すという方法を編み出したのがデカルトです。この位置のことを彼の名にちなんでデカルト座標と呼びます。座標という発想は今日では当たり前のもので、その初歩は小学校の算数などでも扱われるほどですが、当時は実に画期的なものでした。その後の解析幾何学の発展の道を拓きます。

また数式の表記で、アルファベットの最初のほうを定数に、最後のほうを未知数に用いるというやり方をはじめたのもデカルトです。学校の授業で数式の定数にa,b,cを、変数にx,y,zを使うのは、デカルトによる表記が広まったためです。

画像: デカルトについて

確かなものを求めて

デカルトという人はとても誠実な人で、自分自身に課題を与えて、それにひたむきに取り組むという、とてもストイックな生き方をしました。最初は学校で学んでいたものの、それでは飽き足らず、書物に書かれていることではなく、生の現実をこの目で見ようとヨーロッパ各地を旅します。

その結果、その土地によって言葉が違ったり特有の風習があったり、さまざまな違いがある一方で、なにか共通なものが導き出せるのではないか、揺るぎない根本原理のようなものを編み出せないものかと考えはじめ、旅を終えてオランダで引きこもって、思索に没頭します。その結果デカルトは、「我思う、故に我在り」という究極の「真理」を見出します。

私たちはいろいろなことを考えます。そして、お互いにその考えをぶつけ合います。話が合うこともあれば、合わないこともあります。そんなことは誰でも知っていると思うでしょう。しかし、それはいったいどうして起こるのでしょうか。デカルトはこの問題を掘り下げます。その人がどれほど自分の言っていることが「正しい」と主張したとしても、簡単には他の人は納得しませんし、場合によっては反論されるのがオチです。

デカルトは、そうしたことが起こらないようにすることは可能なのか考えた結果、まずは世の中のあらゆることは疑わしいと考えようと決意します。

方法論的懐疑

まず、本に書かれていることが疑わしいのはもちろんのこと、旅に出て得られた経験や感覚もまた、人それぞれ違った経験になっているので、当てにはなりません。目で見えるものは、錯覚を起こすことがしばしばです。

では、数学はどうでしょうか。数式や定理など、かなりしっかりしているように見えます。しかし、それでも人間がつくったものであるため、明日には別の正しい式が発表されないとも限りません。

さらには、こうした「現実」そのものはどうでしょうか。自分一人の感覚ならまだしも、「現実」は多くの人と共有しているように見えます。しかし「現実」もまた、次の瞬間に目が覚めてそれが夢だったということがありえる以上、これだけは確かなことだと言い切れるものではありません。

ここで一度、デカルトはあきらめます。そうかすべて疑わしいのか、世の中確かなものなど実はないのではないか、と。しかし、ふとひらめきます。「疑った」という事実は、消えないのではないか。これは「確かなこと」ではないか。また、「疑った」ということが確かなことであれば、疑った「自分」というものがこの世に存在することも確かなことだと考えてよいのではないか。

我思う、故に我在り (コギト、エルゴスム)

いろいろと吟味した内容は疑われたわけですが、疑ったということと疑う人がいたということは、疑えない。これがデカルトの見出した「真理」です。「疑う人」はすなわち「思う我」のことです。そこであらゆる学問(とくに自然科学)は、こうした「思う我」の確からしさにもとづいて考えればよい、とみなしたのです。

大雑把に言えば、それまでは「神」が絶対的な拠り所であったわけですが、その代わりに「思う我」に基づけばよい、という考えに変えてしまったわけです。

思考する我、プログラミングする我

こうして、近代の学問(とくに自然科学)は、この「我思う、故に我在り」によって支えられて花開いてゆき、その延長線上に、プログラミングがあるのです。

これは対象との向かい合い方をデカルトは定めた、と言えます。言い換えれば、人間になにができるのか、それはやってもよいことなのか、デカルトは問いかけたのです。人間は考えることによって、考えを共有することによって、自分たちの責任のもと、なんでもしてもかまわない……そうした自信をデカルトは人間に与えたのです。

その根拠が、「思う我」です。とくに「自然」(すなわち「対象」)に対して「人間」が管理人のように振る舞っているのは、他の動物とは決定的に異なり、「思う我」という確固たる「主体」が成立していることに気づいているからだ、というデカルトの信念の賜物なのです。

ここからデカルトは、自然や動物は人間とは違って「理性」をもっておらず、機械のようなメカニズムによって動いているのではないかと考えるに至ります。ロボットなどを生み出す原動力も、こうしたデカルトの考え方に由来するとも言えます。プログラミングもまた、然りです。プログラミングの世界は、まさしく一つの「世界」であって、その「世界」を規則正しく「創生」し、「統治」しなければなりません。

しかし、思う存分に人間の力を発揮していった結果、人間はコンピューター上に現実世界とは別の空間を作り出しました。「サイバー空間」と呼ばれます。プログラミングとは、人間が編み出した「天地創造」の方法であり、デカルトの「我思う、故に我在り」という普遍原理が定められたことによって、成立したのです。

正直なことを言えば、今、人工知能の「ディープラーニング」や「ニューラルネットワーク」などは、コンピューターに人間の思考回路を組み込もうとしたものであり、こうした発想はすでにデカルトの考えを超えはじめています。人工知能がさまざまな事柄を学習したその果てに、実はそれらの内容がなんら確かなものはなく、ただ、確かなのはこうして考えている「ワレ」が「アル」からだ、と気づいてしまったとき、もしかすると人工知能は「ワレオモウ、ユニワレアリ」という考えにたどり着き、人間と同じような存在になるのかもしれません。

画像: デカルトの独我論とプログラミング【哲学とプログラミング】

デカルトRené Descartes 1596-1650

  • 近代哲学の創始者、近代自然科学の前提を確立した
  • 人間が自信をもって世界で生きる手がかりを与えた(人間中心主義)
  • 動物や自然が機械のようなメカニズムで動いていると考えた(機械論的自然観)
  • それまでラテン語で書いていたのが、自国語のフランス語で書いた
  • プログラミングにも関わりのある定数や変数の記述の仕方を生み出した
  • 各国のセレブと交流があり、スウェーデンの女王の招待を受けるも、寒さが原因で死亡
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