パスカルは、今から400年近く前にフランスで生まれた天才で、数学や物理学で大きな功績をあげたばかりか、多くの人を驚嘆させる名文を残した哲学者でもありました。また、独自の仕掛けをもつ計算機の発明をしており、コンピューターやプログラミングとも深いかかわりがあります。

デカルトとパスカル

ルネサンス期という時代のなせる業なのかもしれませんが、前回(第4回)取り上げたデカルトがそうであったように、パスカルもまた、何かひとつの専門家というわけはなく、自然科学者でもあり哲学者でもあり、発明家でもありました。

デカルトとパスカルの縁は、そもそも、父親の代からはじまります。パスカルの父親、エティエンヌ(1588年生まれ)は、税務にかかわる仕事をしながら数学の研究(趣味)にいそしんでいました。8歳年下のデカルト(1596年生まれ)とは、書簡を通じて、極大・極小をめぐる数学上の議論が行われていました(1638年)。ただしこのとき、エティエンヌにはよんどころない事情があって、1年ほど姿をくらますこととなり、それ以降のかかわりはありませんでした。

エティエンヌの息子であるブーレーズ・パスカルは、デカルトより27歳年下にあたります(1623年生まれ)。デカルトの主著「方法序説」が刊行されたとき(1637年)、パスカルはまだ14歳ですが、父の英才教育で数学を学んでおり、すでにデカルトの仕事にもふれていました。今からすると、少し不思議な感じがしますが、2人とも経済的にも身分的にも、同じように余裕のある境遇で、大学に在籍することなく、自由に個人で活動していました。

パスカル自身とデカルトとのエピソードもあります。パスカルが24歳のころ(1647年)、パリにやってきたデカルトは病身のパスカルの家まで訪れています。真空についての議論が行われたのですが、意見の食い違いが生まれます。その影響でパスカルは実際に実験を行い、自分の説を確かめるに至ります。

パスカルの思想

パスカルは10代から20代にかけては、とくに数学の分野で活躍しますが、病弱であったことから30代後半には数学から離れ、思索にふけるようになり、39歳で亡くなるまで(1956~62年)、数多くの断想を書き留めました。死後、関係者の手によって編纂され、「パンセ」(「思想」という意味)と呼ばれる一冊の書物になっています。「人間は考える葦である」「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、世界史は変わっていたであろう」という名文句は今でもよく知られており、皆さんもご存知のことでしょう。

この「パンセ」によれば、パスカルにとって人間が人間たるゆえんは「考えること」にあります。そう、「考える葦」なのです。その意味ではデカルトの「我思う、故に我在り」という考え方ときわめて近いところにあると言えます。ただしパスカルは、デカルトの考えを「無益で不確実」であると「パンセ」のなかで批判しています。

たしかにパスカルは、生き物が機械仕掛けであること(=機械論)については、むしろデカルトよりも徹底しており、人間以外の生き物には「理性」がないと考えました。パスカルにとって「人間」は「神」とつながっていることによって「理性」が伴うのですが、他の生き物はそうではないとみなしたのです。ところがそこから、(デカルトが人間を神に近い存在ととらえる人間中心主義なのに対して)パスカルは人間ははかなく頼りない存在であるとみなすことで、むしろ神の偉大さを強調する点が大きく異なっています。

デカルト自身、信仰について態度をあいまいにしていたこともあり、世間では神の存在を否定するように見えたのに対して、パスカルは、科学的な目から、神の存在に価値や意義があることを強調しました。神の存在を人間が確かめようにも、簡単に手が届くものではなく、確率論的にしか証明できないとしたのです。

画像: パスカルの思想

計算機とプログラミング

また、パスカルのほうがデカルトよりも工学的に徹底しており、何事もまず、実際に調べてみたりつくってみたりしなくては気が済みませんでした。パスカルには、手押し一輪車や乗合馬車システムなど、現在でも用いられている発明があり、工学者としての側面があります。また、気圧の原理を明らかにした結果、現在でも天気予報に出てくる単位「ヘクトパスカル」(ヘクトは100を表す)にも、その名を残しています。

しかもパスカルは、機械式の計算機を発明(1642年)したことで、電子計算機の発展形であるコンピューターと深いつながりがあります。歯車を回して、加算の桁の繰り上りを自動化するという仕組みで、税務官であった父親の仕事の労力を減らそうとして作ったと言われています。しかも彼は実際に製作の指揮をとったばかりか、販売のための文章を作成するほか、デカルトが晩年に仕えたスウェーデンのクリスティーナ女王にも献呈するといった、涙ぐましい努力をしています(結果は、うまくは行きませんでした)。

この「自動化」という仕掛けこそ、まさしくプログラミングに相当します。ごく簡単に言ってしまえば、それまで人間が行っていた「計算」を、機器にやらせたわけです。プログラミングとは、こうした機械仕掛けの代わりにコードを書くことによって自動化するものです。

ほか、1970年に開発されたプログラム言語に「パスカル」の名が付されたものがあります。とくにパスカルの考えが反映されているわけではありませんが、コードがとてもシンプルかつ整っているため、初心者や教育用途に今でも使われています。マックのOSも最初はパスカルで書かれていました。

模範的な文章

今でこそ、あまり不思議には思わないかもしれませんが、言葉は生き物であって、簡単にこういうものだ、と固定することはできません。大雑把に言えば、現代語と古語とがまったく違っているように、常に変化し続けていますし、そもそも日本語やフランス語のような「国語」といった「標準語」を誰もが使うようになることさえ、意外と新しい出来事なのです。

フランス語においては、パスカルやデカルトが果たした役割は、その内容面のみならず、近代フランス語の形を定めていったという点においても、きわめて大きいのです。パスカルの「パンセ」やデカルトの「方法序説」は、プログラム言語の「C」や「パスカル」と同じような役割をフランス語において果たした、とも言えるでしょう。言い換えれば、デカルトとパスカルが書いたものは、フランスを1つの言語共同体としてまとめあげて「クニ」として動作しやすくなることに一役買ったのです。

デカルトもそうですが、パスカルにおいても、数学や幾何学から得られた「原理」の発見は大変魅力的だったに違いありません。自然界や世界が一体どういった規則によって構成されているのかを知ることになるからです。少なくとも彼らの偉業があったからこそ、後にコンピューターやプログラミングが産み出されたと言えるでしょう。

画像: パスカルの計算機とプログラミング【哲学とプログラミング】

パスカルBlaise Pascal 1623-1662

  • デカルトとほぼ同時代、フランス近代の代表的哲学者の一人
  • 若い頃は数学や物理学に関心が深く、自然科学者として名を馳せる
  • 手押し一輪車や計算機、乗合駅馬車システムなど発明家の一面も
  • 後年は、優れた文体で知られる「エッセー」を残し、多くの文学者に影響を与える
  • 人間の脆さや人生が無常であることを強調
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