哲学や数学のみならず、宗教対立の解消や地方政治の政策立案、そして、計算機や発電所の土木工事などの技術改良など、あらゆる事柄に関心をもち、いずれの分野においても学術的に先駆的な業績をあげ、しかも、それが単なる理論にとどまらず、政策面や実践面において具体的に展開していった17世紀の天才の1人、それがライプニッツです。

天才といえば浮世離れしたキテレツな人をイメージするかもしれませんが、彼は実務に長け、穏便な性格だったようです。ただし、考えていたことは、かなり時代の先をいっており、今の時代にこそふさわしいくらいです。もちろん、プログラミングやコンピューターとも深い関わりがあります。

17世紀が生んだ天才

ライプニッツは17世紀、ドイツの哲学者です。彼が生まれたときはとてつもない内紛(30年戦争)がようやく終止符を打とうとしていたころで、ドイツはまだ近代国家としての統一感がありませんでした。同時代では、近隣のイギリス、フランス、オランダは、いずれも強力な国家として機能しはじめており、ロンドンではニュートンが、パリではパスカルが、そしてアムステルダムではスピノザが、それぞれ活躍していました。

ライプニッツは、早くに父を亡くし、その後、母も妹も失い、そばにいる親しい友人もおらず、生涯独身を貫きました。他方では、1,000人以上の人と文通を続け、その範囲はヨーロッパ各地はもちろん、場合によっては北京にまで及んでいました。華やかさやカリスマ性はなかったものの、地方領主の政策助言者のような立場で働き続け、あらゆる現場にかかわっていました。何人もの政治権力者の庇護を得られ続けるほどには、人柄も信頼されていました。

したがってライプニッツは、書斎や研究室にこもったままというタイプではありません。さらには、ソクラテスのように、命をかけて市民の前で演説するようなこともなく、プラトンのように、自分自身が国家を統治するにふさわしいとアピールすることもなく、デカルトのように、自分の考えをつきつめた著作を刊行することもありませんでした。広範囲かつ膨大な研究を残しているという意味では、万学の祖となったアリストテレスに匹敵するかもしれませんが、全体像が今なお十分につかめておらず、何一つ、最後まで執着することがなかったため、「大家」という印象が薄いのです。

にもかかわらずライプニッツの思想に注目が集まり続けているのは、なぜでしょうか。そうした、独特の立ち位置、個性が抜きんでていることはもちろんのこと、彼の書き残したもの、彼のやろうとしたこと、それぞれがいずれも「独創性」が高かったからだと思います。「独創性」が高い、というのは、芸術的な創造性とは少し異なり、物事の根底にある原理をつかまえるとともに、それを実生活に役立てようとする意欲が強い、ということです。よくも悪くもライプニッツの仕事は、理論のみに純化させたり、理論なしにただ経験から会得したりといったことが少なく、常に、目の前の解決しなければならない課題と結びついていました。

また、もっと大事なこととして、コンピューターやプログラミングの根幹とライプニッツの発想に近いものがあるばかりでなく、彼の物のとらえ方が、おそらく近代科学の枠に収まりきらなかったために、当時から現代にいたるまで、なかなか理解されなかった、ということが挙げられます。ニュートンの弟子たちが執拗にライプニッツと敵対したのも、実は、この点にあったのかもしれません。

つまりニュートンの宇宙観や自然観は、私たち(近代)が経験的に感じとっているものを一般化、抽象化したものとして、多くの人に受け入れられていきますが、ライプニッツの場合はむしろ、アインシュタインの相対性理論やハイゼルベルクの量子力学のように、近代的な認識からはみ出た、最先端の科学的な知見と近いものとして理解されつつあります。当時ようやく近代的な科学が足場をつくりはじめようとしていたときに、いきなり超近代がやってきて混乱させられた、そういう気持ちにさせられたように思います。

画像: 17世紀が生んだ天才

実用を前提とした思想

ライプニッツは、一方できわめて抽象度の高い議論を展開しましたが、そればかりでなく実際面における発明や改良も行っています。「計算機」「2進法」「微分積分」、そして「発電所における土木開発」などが代表例と言えます。

計算機

パスカルの計算機は足し算における繰上がりの自動化を目指したものでしたが、ライプニッツが1670年代につくったのは、かけ算ができるような仕組みでした。ハンドルを手で回して精巧な歯車を複数かみ合わせて結果を示すもので、20世紀半ばまで使われた手回し式計算機に受け継がれました。ライプニッツの計算機の原理は、実に3世紀にわたって生き続けたのです。

画像: ライプニッツの計算機(Technische Sammlungen Dresden所蔵) www.facebook.com

ライプニッツの計算機(Technische Sammlungen Dresden所蔵)

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2進法

次に2進法ですが、数を数える、というだけであれば、私たちは自分たちの手足の指の数をもとに10進法を利用します。繰上がりやゼロという考え方はともかく、10を単位にしていることに慣れています。しかし同時に、時計や暦など、12進法が同時に用いられています。しかし、いずれにしても、自然界の「現象」や「形態」をもとにして、計算しやすいように人間が暮らしの中からつくりだしたルールです。

これに対して、数についてシンプルに考えれば、「ある」か「ない」か、オンかオフか、1か0かといった、2進法にたどりつくのではないか、そう考えたのが、ライプニッツです。現在の「電子計算機」であるコンピューター(量子コンピューターは少々異なりますが)はこうした2進法を基礎にして動作していますので、そうした意味でもライプニッツはコンピューターと深いかかわりがあると言えます(次回に登場するF・ベーコンもまた2進法を編み出したと言われています)。

画像: ライプニッツの書簡に書かれた2進法(出典:Gottfried Wilhelm Leibniz Bibliothek, Hannover)

ライプニッツの書簡に書かれた2進法(出典:Gottfried Wilhelm Leibniz Bibliothek, Hannover)

微分積分

たしかにパスカルも曲線の解析を行い、もう一歩で微分積分に近付きましたが、その手前にとどまりました。ライプニッツは、Sの文字を長く伸ばしたり、「dx」といった微積分の表記を考案したりしたばかりでなく、パスカルがぶちあたった壁を越え、かなり明晰に微分積分の原理を見抜き、その後の数学の発展に寄与しました。それだけでも、すでに凄い人だということが伝わるかと思いますが、ライプニッツのおもしろいところは、「無限小」という考えにこだわったところです。

グラフの直線や曲線は、何らかの運動や動きを示しており、その範囲や幅をどんどん小さくしていって、あたかも「点」のように見える地点まで小さくしたとしても、あくまでもそれがある動きの一部である、ということが「無限小」の考え方です。すると、「点」とは、どの方向に向かうのかわからないものではなく、ベクトルに分解できるようなもの(つまり「運動」)として、示されることになります。

土木開発

1680年、ライプニッツは、ハノーファー近隣にある鉱山において、風車を使ってポンプを動かすプロジェクトに関与しました。かなり画期的な仕組みをつくりあげ、これで難問は解決か、と思われました。ところが、当地ではそれほど風がなく、まったく風車が動きませんでした。しかも彼は、いわば中央官庁からやってきた「お役人」のような立場で、現地の作業現場との軋轢もあり、その結果、このプロジェクトは中止となってしまいました。こうした天才をもってしても、現実的なプロジェクトの成功は想像以上に大変なことだったようです。

ライプニッツがつかんだ世界の基本形

こうしたライプニッツの天才ぶりに、同時代にもっとも近い人物はと言えば、前回ご紹介したパスカルをおいて、ほかにはいません。彼とは、かなり近い位置にあり、フランス随一の天才がパスカルであるとすれば、ドイツ随一の天才はライプニッツということになるでしょう。

ライプニッツは、パスカルがそうであったように、数学者であると同時に哲学者でもありました。パスカルがそうであったように、計算機を発明し、微積分に関心をもちました。ですから、プログラミングと哲学の関係を語るうえで、この2人を外すことはできません。

しかし、パスカルの洞察が主に人間に向いていたのに対して、ライプニッツの場合、人間のみならず、自然、世界、宇宙、総体をまるごと同じ原理で成立していると考えていた点が、大きな違いです。壮大すぎてなかなかその全貌や本質はつかみにくいのですが、今なお、多くの人を魅了し続けているのは、このおそろしいほどの一貫性です。

では、ライプニッツのそうした、統一的なものの見方、考え方、とはどういうものでしょうか。必ずしも理論的につきつめられたわけではないので、説明するのに骨が折れますが、2つの言葉に集約されるでしょう。1つは「モナド」、もう1つは「神義」です。

モナドは「単子」と訳されることがありますが、単一を意味する「モノ(ラル)」に由来する言葉で、「原子」(アトム)と非常によく似ており、世界中のあらゆるものが成り立っている最小単位のようなものです(ちなみに原子論は古くは古代ギリシアのデモクリトスにまでさかのぼりますが、近代的な原子論は18世紀、ドルトン(1766–1844)やラヴォアジエ(1743-94)まで待たねばなりません)。

原子論が結局は物質の最小単位を探し出したとすれば、モナド論は精神と物質とを合わせた最小の「実体」と言えます。その「実体」の「実質」を指し示すものであり、場合によっては「魂」とか「いのち」「細胞」さらには「エネルギー」とも呼びうるものです。そのため、アトムが共通する基盤のようなものだとすると、モナドは、すべてが異なっています。

さらにはモナドには、世界はすべて最善であり、かつ最大の多様性があるという、神による「予定調和」がある、とされています。これが神義論です。単純に「神」の存在を信じたとか、神秘的な、または、霊的なものに頼ったというよりも、人知をこえたものを言語化する手段として「神」という言葉が用いられた、と言えます。

画像: ライプニッツのモナドについて書かれた文章(出典: http://people.bu.edu/wwildman/WeirdWildWeb/media/galleries/philosophy/philosophy_gallwmodearly.htm ) people.bu.edu

ライプニッツのモナドについて書かれた文章(出典:http://people.bu.edu/wwildman/WeirdWildWeb/media/galleries/philosophy/philosophy_gallwmodearly.htm

people.bu.edu

結果的には、生き物も無生物も、人間も、機械も、この世に「存在」するものの共通性や連続性を前提とすることになりますが、これは、IoTの時代であれば、むしろ少し理解できるのではないでしょうか。少なくともアトムとは異なり、物質論に限定することを避け、生命(精神)のみならず、物質がこの世に存在する理由にも目を行き渡らせたと言えるでしょう。

そもそもライプニッツには物質と精神の世界をはっきりと区分するという考えがありません。それは、ニュートンがそうであったように、近代的な物質観です。ライプニッツの考えはそうした枠の中に収まりません。これは、現代の科学観からすると、むしろ最先端となりますが、当時から20世紀に至るまで、かなり怪しげな考えであるとみなされました。少なくとも、粒子でもあり波動でもあるような無線電波を使って情報をやりとりしている時代には、ライプニッツのモナド論の方が腑に落ちるようになっていると思います。

また「神義」についても、何か、人の形をした唯一の神がいると思うと、いろいろとわからなくなりますが、あらゆるものに「カミ」が宿るという考えであれば、これはもう、ライプニッツの考えにかなり近いように思います。ただし彼の「カミ」は、少し楽観的で、世の中はすべてうまくいっており、これからの時代はもっとよくなるという前提がありました。思想史的には、後の進歩史観や進化論などとも共通していると考えることもできそうですが、ちょっと違うように思います。世の中、そう単純ではなく、何事も、なるようにしかならないし、どんなに悪いことがあろうと、どんなに良いことがあろうと、そういう目の前の些細なことを通り越して、とにかく、あり続けるものであって、少なくとも、善し悪しを一部の利害や一時的かつ一面的に見ても仕方がない、ということが、ライプニッツの神義論の根幹にあるように思います。

ともかく、今のようにプログラミング教育が小学校で義務化されるに至る経緯には、天才ライプニッツが模索した、世の中のことを理解するには、統一的なものの見方をもとにして、それを組み立ててみる、という作業が必須であるという考え方が基盤にあるということです。逆に言うと、ライプニッツが行った試みのすべてが、現在のプログラミングの考え方につながっていると言えるのです。

日本とライプニッツ

なお、ライプニッツの研究のなかには、中国をテーマとしたものがありました。当時のヨーロッパにおいては、東アジアの文明は大変興味深かったようです。しかし残念ながら日本についての言及は、それほど多くはないようです。

私が見つけたのは、フランシスコ・ザビエルが日本を訪ねた時のことまとめた著作にふれ、その書が、日本にはヨーロッパのような唯一神がおらず、ただ、自足的な「理」があれば充分であるという理解を興味深く引用しています。これは、もしかするとライプニッツの神義論が「信仰」の次元においてではなく、むしろ「合理性」の次元から、もしかすると否定される可能性があることを示しているのかもしれません。少なくともライプニッツは単純に「神」や「宗教」「信仰」を受け入れていたのではなく、何らかの合理性に引き寄せていたのではないか、という印象を抱きます。

なお、彼の残した文書の量は膨大で、今日でもまだその全部は出版されていないほどです。すべての記録を刊行するプロジェクトが進行中で、あと100年くらいかかるとも言われています。死後、400年間も費やしてようやく全貌が明らかにされようとしており、今後も目がはなせません。

画像: ライプニッツのモナドとプログラミング【哲学とプログラミング】

ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716

  • 17世紀ドイツの哲学者にして数学者、工学者でもあった天才
  • 同時に、地方統治者に仕えながら、宗教対立の解消や政策立案などを行う
  • モナド論や神義論など、近代科学の枠をはみ出した考えを膨大に残す
  • 2進法や微積分、計算機、発電所の土木改良など、実学的な功績も多い
  • コンピューターを中心とした情報化社会になじみやすい考え方を示している
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