海外移住というと、仕事のためにというパターンが多いかと思いますが、教育のためにあえて海外に行くという選択肢もあると思います。ここでは海外に教育移住するための情報をお届けします。第一回はタイ・バンコクで家庭教師をしている安藤忠浩さんへのインタビュー。

生徒から学ぶことばかり。バンコクで家庭教師をして気づいたこと

「バンコクで教えている子どもたちは基本的に本当に優秀な生徒ばかり。私が教えることなんて本当にちょっとした勉強のコツくらいなもので。みんな人間がしっかりしているからもう、日々彼らから学ぶことしかないんです」

冒頭、日本流の謙遜で真摯なあいさつではじまった安藤忠浩さんのインタビュー。安藤さんはタイ在住歴20年以上、バンコク市内で家庭教師業などを幅広く展開し、在タイの小中高校生向けに勉強法の相談に乗ったり、英語をはじめとする教科を生徒に教えたりしています。主にバンコク市内のインターナショナルスクールの受験合格を目指す生徒を対象に、家庭教師をこなしている日々。

教師歴数十年ともなると、生徒が世界各国で活躍する姿を目の当たりにする機会もあるのだそう。彼らが仕事や家庭をもったのち、こぞって安藤さんにお礼の連絡をくれるのだそうです。最近では公私ともに付き合いのある教え子も増え、彼らとの交流が何より嬉しいことなのだとか。

そんな安藤さんが、どんな思いで長年ここバンコクの地でお仕事をされているのか?また昨今のインターナショナルスクールの受験に対する日本人の動向などを交えつつ、お話をうかがいました。

自分自身の力で生きていくために、兄弟で目指した「海外移住」

— 在タイ25年目とのことですが、海外在住歴は長いのでしょうか?

安藤忠浩(以下、安藤) 私はイギリス、ブラジル、そしてタイの近隣国ラオスにもいたことがあります。もう30年以上海外で生活しています。ビジネスをいちばん長く続けているのはタイですね。

— 元々海外志向は強かったのでしょうか?

安藤 たまたまですが、私の弟も海外在住歴35年と長く、兄弟そろって外国で暮らしています。きっかけはいろいろあるのですが、自分自身の技術や能力で未来を切り開いていきたいという思いは、ぼくも弟も共通してもっていました。その夢をふたりで温め合い、ともに成長してきたというところは大きいでしょうね。

私たちが子どものころは高度成長期の真っただ中。ある日、終電で疲れ切ったサラリーマンが電車に揺られて帰宅するという光景を目にしたんです。子どもながらにショックが大きかったですね。一生これを死ぬまでやり続けるのが人生か?自分たちはけっしてそうなりたくない!という思いでいっぱいでした。

「サラリーマンだけにはなりたくない」と必至だった

画像: 「サラリーマンだけにはなりたくない」と必至だった

— お若く見えますが、安藤さんはバブル世代だったのですね。

安藤 そうなんです。ぼくたち兄弟は「どうすれば会社に使われるだけのサラリーマンにならなくてもよいのだろうか」ということを必死で考えました。自分たちが何かしらの能力を身につけ、それが通用するフィールドを世界規模にまで広げるためには、英語が必須ツールになる。とにかく今はそれを勉強しなくてはという結論に達して、あとはもうひたすら勉強する毎日でした。50歳を超えた今でも、英語は一日1時間勉強しています。

— 50歳を超えても、仕事以外の時間を確保してコンスタントに勉強し続けるのは凄いですね。

安藤 英語に関してはとにかく積み重ねなので、毎日やっていくことが大切。年齢も関係ないですよ。私は40歳を過ぎてからWebサイトも自分で制作して、バンコクの家庭教師のホームページとしては上位に上がってくるように工夫も重ねて設計しています。コンピューター言語を学んで当ホームページを作ったりできるようになったのなんてつい最近の話です。

もちろん、ビジネスとして成功したいという気持ちがあったからこそ必死で言語を学びましたが、それ以前に英語を学んで実際の生きていく糧を得るツールとして人生に生かせた経験があるからこそ、コンピューター言語の学びにおいても、同じ語学学習なのだからという気持ちでやってこれました。結果、短期間で習得することができたんです。

— 英語やコンピューター言語のほかに、他言語をお仕事で使われていますか?

安藤 ポルトガル語で仕事をしていた時期も長かったですね。ポルトガル語はブラジルをはじめ南米各国でも多く話されている言語ですし、日本にもブラジル人の外国人労働者をはじめ母国語がポルトガル語であるひとたちが多くいるのですが、大学の第二外国語で学ぶ機会のある学生にとってはとにかくマイナーな存在であることに間違いはないです。

しかし私は高校生のとき、すでに将来ビジネスツールとして使える能力を携えるなら、他の人がもっていない力を蓄えて生かしていかないと、決して世界規模のビジネスシーンでは勝てないというビジョンをもっていたので、日本ではマイナーな言語をあえて学生時代に学びました。結果的に、私のポルトガル語は南米で生きていくことに役立ちました。バンコクに来る20年ほど前は、ブラジルで日系の企業が多く参入する時期だったので、その通訳のような仕事に長く携わることができたのです。

記事全文ページのみ

This article is a sponsored article by
''.