今年から鳴り物入りで始まる予定だったプログラミング教育ですが、昨今のコロナ禍の影響でどっかに飛んでいってしまったようです。そのような状況で日本の将来は大丈夫なのでしょうか。

これまでの【竹内薫のトライリンガル教育】はこちら

プログラミング教育の遅れは日本が抱える大きな問題

YES International Schoolでは、4年半前の創業時から、プログラミングを「創造的言語」と位置づけて授業をおこなってきました。2016年にプログラミングを義務教育化したイギリスより1年半も遅れているわけですが、創業時の1年生にとっては、小学校入学段階からプログラミングに親しむチャンスがあったわけです。

日本全体を見渡すと、新型コロナによる休校期間中、ほとんどの学校がオンライン授業もできない状況に陥り、国語や算数などの主要科目でさえ、充分に学習時間が確保できておらず、今年から始まる予定だったプログラミング教育など、どこかに吹っ飛んでしまったかのようです。

プログラミング技能を有した先生がいる学校であれば、オンライン授業の導入自体は簡単で、タブレットなどの調達(家庭所有のものを使う、寄贈を受けるなど)という課題さえクリアできれば、ちゃんとオンライン授業ができたはずです。教えられる先生がいないことも含めて、プログラミング教育の遅れは、日本が抱える大きな問題であることが浮き彫りとなりました。

受験とプログラミングの難しい関係

画像: 受験とプログラミングの難しい関係

さて、そんなプログラミングですが、将来、受験科目に入ることは確実です。文部科学省が学校で教えると決めたのですから。しかし、クリアすべき問題が大きく2つはあるように思います。

まず第一に、ウチの学校のように早期からプログラミング教育を開始していても、現時点で、中学受験の際にプログラミング技能が評価されることはありません。中学受験そのものが100年前から進化しておらず、時代遅れになっているからです。

あと5〜10年も経てば、中学受験でプログラミング技能を考査するようになるかもしれませんが、それまでは、高度なプログラミング能力とIT技能をもつ小学生がいたとしても、中学受験では得意技を封印して戦わなくてはいけないのです。

中学受験で競う他の子どもの多くは、毎夜のように受験塾に通っており、直近の目標に特化している分、中学受験に成功する確率も高いでしょう。

ボクシングの試合にたとえるならば、プログラミング能力に秀でた子どもたちは、利き腕を封印して戦わなくてはいけないのです。残念ながら、これは圧倒的に不利な戦況です。

しかし、同じことは英語についてもいえるのです。バイリンガル教育のおかげで、英語がペラペラでTOEFL Juniorでゴールド(おおまかな比較ですが、英検2級くらいの英語力)をもっていても、そもそも中学受験の科目に英語がないのであれば、大きなハンデとなってしまいます。

矛盾していますよね。バリバリのプログラミング能力があり、英語もペラペラなのに、旧態依然とした中学受験のシステムでは「それ以外の技能」しか見てくれないのですから。

英語については、英語を試験科目に課している少数の国立・私立の中学校を選んで受験する選択肢があります。プログラミングに関しては、受験科目に入ってくるまで5〜10年は待たないといけないと思います。

仮にプログラミングが受験科目に入ったとしても

画像: 仮にプログラミングが受験科目に入ったとしても

第二の問題として、最速で5年程度でプログラミングが受験科目として採用されたとして、私が危惧するのは入試問題そのものです。

これまで中学受験に限らず、高校受験にしても、大学受験にしても、日本では知識偏重の問題が幅を利かせてきました。歴史年号を知っているかどうか、数学公式をあてはめる知識があるかどうか、英単語や英文法を知っているかどうか、エトセトラ、エトセトラ。

本来は過去の出来事について深く考察し、戦争が起きた理由や産業革命がもたらした社会変革や格差の問題などを、有機的なつながりをもって学ぶのが歴史という学問でしょう。あるいは、楽しくかつ実用的に英語を聞いて話して、読んで書いて、世界中の人々と交流するために英語を学ぶべきです。そして数学についていえば、公式を暗記するのではなく、公式を自ら「発見」する喜びが原点にあったはず。

知識を問う穴埋め式と選択式の問題は、採点が楽で間違いがありません。でも、「思考力」や「独創力」を問うことは難しいのです。今回はプログラミングと受験がテーマなので、他の科目については深入りしませんが、受験問題の多くが、知識偏重型になってしまっていおり、現代の日本人の思考を文字通り「型にはめて」しまっているのではないかと私は危惧しています。その結果、第四次産業革命の進展とともに、ズルズルと世界の中における日本の相対的な地位が低下し続けているのです。

5〜10年後にプログラミングが受験科目に入ってきたとき、私が恐れるのは、相変わらず穴埋めや選択式の問題で能力を測ろうとするのではないか、という点です。つまり、英単語も英文法も知っていて、穴埋め問題や選択式の問題で高得点が取れたとしても、英語が使えない人が多いのと同じことがプログラミングでも起きるのではないかと危惧しているのです。プログラムの穴埋めや選択式の問いには答えられても、プログラムを実戦で使うことができない人をこの国は量産してしまうのではないか……。

解決策は簡単です。穴埋めや選択肢の問題などを課さずに、実際にプログラムを書いてもらってコンピューターで走らせて評価すればいいのです。課題は出していいと思いますが、(英語がしゃべれるかどうかと同じで)プログラムを書く能力そのものをみればいいのです。

その際、大きな会場を借りて、パソコンを何百台も運び込む必要はありません。オンラインで考査をしてしまえばいいのです。え? それじゃカンニングが防げない? いえいえ、そもそもカンニングというのは「暗記」しているかどうかを試験するから生じるのであり、考え方やセンスを見るのであれば、どこから情報を得ようがかまわないはずで、それも情報検索能力のうちではありませんか。

ただし、別人がなりかわって受験しては意味がないので、それはセンサーなどで監視するか、あるいは、なりかわりでもかまわないと開き直って、入学後に授業についていけなければ辞めてもらえばいいのです。

もちろん、簡単で誰でもGoogle検索でプログラムのコードが手に入るような問題を出してはダメです。ちょっとひねりを利かせた、考えさせる問題を出せばいいのです。

また、課題を解くのとは別に、オリジナルなプログラミング「作品」を提出してもらってもいいと思います。独創的なアイディアを見るには、その人の書いたオリジナルなプログラムで考査するのがいちばんです。 

学校と受験が変わらなければ日本の将来はない

画像: 学校と受験が変わらなければ日本の将来はない

学校の教室数も敷地面積も決まっているのだから、受験で志願者の数を絞ることは必要だ。そのための効率のよい方法が穴埋め式と選択式で知識を問う形式の受験問題なのだ。そういう暗黙の了解があるように思います。でも、その考えこそ、たかだかここ150年(世界では200年)の学校システムの話なのです。

物理的な制約の大きい今の学校システムは、第四次産業革命において、大きな脱皮が求められています。N高のような通信制高校が人気を博しているのは、まさに時代を先取りしているからにほかなりません。

すぐには変わらないかもしれませんが、5〜10年かけて、オンライン授業を主体としつつスクーリングを取り入れた新しい学校を増やし、「お受験」などという子どものクリエイティビティを潰すための無駄な儀式をなくす必要があると強く感じています。

それができなければ日本は、プログラミング教育でも、過去の(数学教育や英語教育同様の)過ちをくりかえし、本当に世界から置いてけぼりになってしまうでしょう。

受験のためにプログラミングを学ぶことをあきらめるか、それとも、長い目で見て幸せな人生を歩むために、子どもが好きなプログラミングを続けさせるか。保護者がどれくらい「先」を見通せるかによって、子どもの人世が左右される……いま、われわれは、そのような難しい選択の時代に生きているのです。

受験を考えているご家庭は、どうかいったん立ち止まって、25年後に必要とされるものが、プログラミング技能なのか、それとも中学や高校の「学歴」なのか、親子で話し合ってほしいと思います。周囲に流されずに、ちょっぴり長期的な視野で「未来」について考えてみてほしいのです。

この記事が気に入ったら「フォロー」&「いいね!」をクリック!バレッドプレス(VALED PRESS)の最新情報をお届けします!

毎週最新情報が届くメールマガジンの登録はこちらから!

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.