2021年になり、メディアリテラシーはますます重要になっていくことが考えられます。日本メディアリテラシー協会理事長の寺島絵里花氏が、13歳からスイスのインターナショナルスクールに通う高校3年生のAinaさんに、海外でのメディアリテラシーの授業科目についてインタビューしました。

スイスのメディアリテラシーの授業

13歳からスイスの寄宿舎付きのインターナショナルスクールに通う高校3年生のAinaさんは、もうすぐアメリカの大学進学するための入試が目前です。日本の高校生も年明けに大学共通試験がありますね。新型コロナウイルスが爆発的に増えているなかでの受験は、実際の試験内容などはどう変わるのか、不安に思う方も多いのではないでしょうか。

Ainaさんに、スイスで過ごした学校生活のなかで、日本とスイスの違いや、寄宿舎の生活のことや、印象的な授業について聞いてみました。

外国のメディアリテラシーの授業科目は、Moral Religious StudiesやEnglishの授業で行われることが多いのですが、Ainaさんの学校ではEnglishのクラスで行われていた様子です。

その授業のなかで取り上げられた1つのトピックが、Ainaさんにとって、とても印象的なことだったと聞きました。今日は、写真1枚で伝わる“メッセージ”についてお伝えしていきたいと思います。

1枚の写真で分かれた意見

Ainaさんにインタビューして、実際クラスでメディアリテラシーの授業がどのような進行されたのかについて聞きました。

先生は、写真についての説明は何も話さずに、たった1枚の写真をクラス全員に見せたそうです。その写真について、どう感じたのか、考えたのかを話し合ったとのこと。

画像: ハゲワシと少女 © Kevin Carter/Sygma

ハゲワシと少女 

© Kevin Carter/Sygma

——クラスは何人くらいで授業を受けていましたか?

11人です。(出身国:日本、中国、メキシコ、スペイン、スイス、ブラジル、台湾)

——先生の国籍を教えてください。

イギリス国籍の先生です。

——授業中のクラスは、どのように行われましたか?

主に、ディスカッションです。

——クラスメイトは、写真家に注目する人と、写真自体に注目する人がいたということでしたが、その違いについて教えてください。

アジア人は主に写真自体ではなく、写真家に対して注目していました。写真から状況を見ると、目の前にいる子どもがワシに狙われて危機状態にあるにもかかわらず、写真を撮り続けていたことに問題があるとの見解でした。

アジア人以外の人たちは、写真に注目し、この国がどこの国で、なぜこの状況下になっているのか、その危機状況の根本的な原因は何かを議論しました。

——Ainaさんがこのクラスを通じて感じたことはどのようなことでしたか?

私は中学のときにひとりで親元を離れて、0からの生活をスタートしました。知り合いもおらず、言葉も通じない環境に、怖さ、不安がありましたが、私は飛び込みました。

初めのころは、局地的な考えばかりしていたため、見えるはずの視野が制限されていました。私はそれまで狭い世界で生きていたことにまったく気づいていませんでした。いろいろなバックグランドの人たちと、グローバルな問題について価値観の違いを超えて意見交換しました。

時には、真逆の見解もあり、互いの正しさをぶつけ合いながら、最終的には1つにまとめ上げていく工程を経験しました。志を一緒にすれば、心が通じ合うことができ、国籍やいろいろな人種、宗教観の違いを超えられるという考えに至りました。

多様なバックグランドをもつ人たちと相互作用したことで、自分が今まで想像できなかった世界が見えてきました。そして、個々の境界を超え、変革的な発想や生き方を身につけることができました。これによって、自分にできることは何か、社会に意義のある貢献をしたいと思うようになりました。

授業では、参加者全員が強い衝撃を受けました。けれど、その「衝撃」の内容は、生まれ育った地域、環境、文化背景によって違い、大変興味深かったです。ヨーロッパや北米大陸の人たちは「Why, How, What」など、現状、状況についての根本的な問題に疑問をもつ傾向がありました。

一方で、アジア大陸の人たちは、「写真家に対しての心情や道徳観」を問うもの傾向が強かったのです。たとえば子どもがワシに狙われて危機状態にあるにもかかわらず、写真を撮り続けていたことを問題視していました。そんななか、私は「報道」について疑問を抱きました。メディア(報道)か人命か。世界の約45%の子どもたちは、1人1日3.10ドル未満の家庭に暮らしていると言われています。社会情勢に巻き込まれている危機状況下にいる子どもたちの存在は忘れてはならないと思いました。

なぜ賛否が大きく分かれたのか、カメラマンが命を落とすことのない(後述)報道方法はなかったのかなどの疑問が残りました。けれど同時に、良い悪いなどで、答えが出せるものではないと知りました。

グループディスカッションのゴールは、文化的背景、価値観、人生観などが異なる相手と、考え方を交換、シェアして、議論を重ねることでダイバシティーへの理解を深めることでした。また、相手に伝わるように自分の意見を明確に表現することを、授業や課外活動で何度も繰り返してきました。

——最後に、これからのAinaさんのMissionについて教えてください。

私は、学校生活を通して、異文化コミュニケーションスキルが磨かれ、自分にしっかりと根付いていると感じます。これらの自己成長は、私の未来のビジョンとミッションを描く上で、必要不可欠だと思います。また、SDGsをはじめとする社会問題の解決にも取り組んでいきたいと思います。このミッションを達成する上で、圧倒的な知識のなさを痛感していますが、大学ではもっと意欲的に取り組んで学んでいきたいと考えています。

1枚の写真のメッセージをどう感じるか

画像: 1枚の写真のメッセージをどう感じるか

実はこの写真、1993年にアフリカの内戦が続いていたスーダンでフリーランス写真家のケビン・カーター氏が撮影した「ハゲワシと少女」というものです。内戦によって、飢饉が深刻化し、やせ細って力がでない少女をハゲワシが狙っているようにも見える写真です。

この写真は、同年3月26日に世界的に有名なニューヨーク・タイムズに掲載され瞬く間に有名になりました。当時はまだ、インターネットが一般家庭に普及していない時代です。その時代に、アフリカの状況をすぐに知ることは難しいので、新聞など通して世の中の情報を得ていた時代的な背景があります。そのため、アフリカの悲惨を象徴する写真として、人々の心をとらえました。

しかしながら、絶賛とともに多くの批判が寄せられたのです。そのほとんどは「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展しました。

最も権威があるピュリツァー賞を受賞し一躍有名なフォトグラファーになったカーターですが、この写真を撮った後、ひどく落ち込むようになりました。作品は彼を有名にしましたが、写真の中の子どもを助ける前にシャッターを押した彼は、“ハゲワシ”と同じだと非難され、彼は打ちのめされたのです。そしてピュリツァー賞に輝いた3か月後の94年の夏、自死するという悲しい結末となりました。1枚の写真のメッセージを読者のみなさんはどう感じるでしょうか?

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