STEAM教育ってなんだろう?—スウェーデンの例から学ぶ[後編]

STEAM教育のA(Art)のルーツはスウェーデンにあると確信し、一路スウェーデンに飛んだ筆者。そこで見たものは日本よりはるかに進んだモダンアート教育でした。

美術教育・ギャラリー・スウェーデン国立美術館

筆者はストックホルムの著名なギャラリー約20箇所をほぼすべて訪問しました。とくに東京のギャラリーとの際立った違いとして、モダンアートの割合が非常に高いこと(9割程度がモダンアートでした)、およびビジネス客以外に対して非常にオープンであること(写真撮影もOKでした)が挙げられます。

これらは、モダンデザインが社会的に受容されていることを示しています。簡単にいうと「国民の目が肥えて」いるということです。

美術館に飾られているモダンアート

スウェーデンにおけるアート教育に関する興味深いシーンを、筆者はスウェーデン王立美術アカデミーに隣接するスウェーデン国立美術館で捉えることができました。

写真は、子どもたちにダリの絵画を模写させている風景です。模写とは画家との対話です。それは絵画の技法を学ぶ手段ではなく、画家が「なにを描かなかったのか」を知る手段だからなのです。そして、省略はモダンデザインにおける最重要な要素でもあります。

子どもたちにダリの絵画を模写させている風景(絵:「ウィリアム・テルの謎」ストックホルム、近代美術館)

バウハウスから強い影響を受けたデザイナ、ディーター・ラムスは「いいデザイン」の条件を次のように列挙しています。

  • いいデザインは革新的である
  • いいデザインは製品を便利にする
  • いいデザインは美しい
  • いいデザインは製品をわかりやすくする
  • いいデザインは慎み深い
  • いいデザインは正直だ
  • いいデザインは恒久的だ
  • いいデザインは首尾一貫している
  • いいデザインは環境に配慮する
  • いいデザインは可能な限りデザインをしない

ラムスの最後の条件「いいデザインは可能な限りデザインをしない」は本質以外を可能な限り省略することを主張しています。美術館における模写の指導は、最良の工業デザイン教育のひとつでもあるのです。

学際教育とリンショーピン大学

筆者は、人口14万人でスウェーデン第5の都市であるリンショーピンを訪問しました。この地にあるリンショーピン大学は、世界に先駆けて設置された医療工学研究科や芸術理学研究科で有名で、欧州の大学ランキングの常連校でもあります。幸い筆者は学生時代にリンショーピン大学のパー・アスク教授(現名誉教授)に師事したことがあったため、アスク名誉教授に大学を案内してもらうことにしました。

筆者は医療工学研究科のゴラン研究科長に、リンショーピン大学の教育システムについて詳しいインタビューをしました。そこで強調されていたことは、一切の権威主義を廃することと徹底した多様性を確保することでした。

たとえば、学生は教員をファーストネームで呼ぶように指導されています。研究ディスカッションでは教員と学生が対等の立場に立ちます。また、大学2年生以上になると講義がすべて英語になるそうです。男女比はほぼ50:50ですが、そもそも学生を男女やまして国籍では区別していないと言います。

筆者は試しに「そう言えばトイレも男女に分かれていませんね」とゴラン研究科長へ話を振ってみたところ、あまりにも当然なことを聞かれても困るという返答でした。多様な性の受け入れもここまで進んでいるということですね。

なおストックホルム中央駅他、他の地方駅でも男女に別れたトイレを見かけることはありませんでした。

筆者はまた、芸術理学研究科の横に設置された新設の総合図書館の館長にインタビューを行いました。最近は日本の大学でも最近よく見かけるようになりましたが、学生が集まって話し合えるようなスペースが書架に混在するように取り入れられていました。

ただし、日本と違って図書館は静かに利用しなくてもいいということでした。実際筆者が訪れたときも、学生たちがあちこちで話し込んでいました。

芸術理学研究科の総合図書館

スウェーデン空軍と空軍博物館

スウェーデンの工業の特徴のひとつとして、独創的な空軍機の設計が挙げられます。とくに、世界初のダブルデルタ翼というデザインをもったサーブ35ドラケン要撃機 (1955–2005) は、旧ソ連の超音速爆撃機に対抗できる西欧唯一の機体でした。

なんか男の子の中二病をくすぐるようなデザインですが、限られた資源のもと、狭い国土の中で超大国と戦わなければならなかったという点で、日本のゼロ戦と共通する設計思想とも言えます。このように、時代の要請に対して、常識にとらわれず新たな視点でデザインに取り組む能力はとくに国防という観点においても重要です。

この「常識にとらわれず新たな視点でデザインに取り組む」能力を涵養する教育のひとつがモダンアート教育です。スウェーデンにおいて、軍事開発とモダンアート教育が密接に関連したと考えられるひとつの状況証拠が、リンショーピンにある空軍博物館です。

空軍博物館では多数の歴史的空軍機が展示されているのですが、空中に角度をつけて吊るされた状態で展示されています。それぞれの航空機が、もっとも美しく見えるようにという審美的な意図をもって展示されているのです。

また、たとえばドラケンの展示の横には1960年代のスウェーデンの家庭を再現したブースやソ連軍の動向を知らせるニュース映像がブラウン管で配されたりと、歴代の航空機が開発された時代背景も同時に展示されていました。これは航空機開発の社会的背景を伝えるという教育施設としての側面もカバーするためでしょう。

サーブ35ドラケン要撃機

スウェーデン軍の独自デザインとして挙げておかねばならないのが「M90迷彩」というカモフラージュ柄です。皆さんがよく知っているカモフラージュ柄とはだいぶ違いますよね?M90迷彩は、バウハウスにも在籍した画家パウル・クレー (1879–1940) の絵画作品とよく似ています。

これもまたモダンアートが国防技術に与えた影響と見ることができます。最近は、ドイツ軍や米海兵隊もM90迷彩のエッセンスを取り入れた新しいカモフラージュ柄(フラックターム迷彩、マルチカム迷彩)を取り入れています。

木ねじ

最後に、筆者が発見した大変マニアックな(?)事例をご紹介しておきましょう。

リンショーピン大学の工事現場で見かけた木ねじです。気になって調べてみると、街なかのいたるところや、僕のためにベッドを急遽作ってくれた宿の女将も使っていた木ねじです。

この木ねじ、日本では特別なねじ回しが必要になるヘクサロビュラねじと言います。その昔、アップル製品に多用されていたため、専用のねじ回しが「PowerBookオープナー」と呼ばれていたこともありました。

ヘクサロビュラねじの特徴は、ねじを押す力がとても軽くてすむことです。とくに木ねじは日本ではほとんど流通していませんし、見つけても大変高価なのですが、スウェーデンでは当たり前のように使われていました。これは、現場のエンジニアとマネージャが対等に話し合い、エンジニアの声を社会が吸い上げる文化があってこそ成り立つものでしょう。

余談ですが、イケアの家具に使われている一見プラス(正しくはフィリップスと言います)に見えるねじも、実際にはフィリップスを改良したポジドライブという別の種類のねじです。

手で回す分にはそれほど問題はないのでしょうが、電動工具で締め上げるとねじ頭が潰れてしまいます。どうぞお気をつけください。

木ねじ(出典:FixaBall)

www.fixaball.co.uk

日本の未来にこのような教育が登場するか

上述の通り、学際分野の融合、とくに科学・工学と美術教育の融合すなわちSTEAM教育こそがスウェーデンの強みであると筆者は考えます。リンショーピン大学からは、学際分野教育の要点として権威主義の排除と多様性の確保を拾い上げることができました。またストックホルムの公共建築、ギャラリー、美術館、建築現場から人間中心デザインの重要性を見て取りました。スウェーデン空軍からは、モダンアート教育が防衛産業にとって不可分なものであることを見つけました。

このような学際融合教育、とくに科学・工学と美術の融合教育は、現代あるいは未来の日本において可能でしょうか。また他の世界には見られないものでしょうか。

筆者は、ある希望をもっています。

筆者が京都の美大で教えていたときに気づいたことです。都会出身の学生たちは、小さい頃から美術に触れる機会も多かったのでしょうか、器用に綺麗な作品をすぐに作り上げていきます。

一方で、農村や漁港といった田舎出身の学生たちは、最初戸惑うばかりで、野暮ったい作品ばかりになってしまいます。それでも、卒業制作に取り組み始めると、田舎出身の学生たちの底力が見えてきます。なぜでしょうか。

筆者は学生たちに幼少期の体験をいろいろと聞いてみました。おもしろいことに、底力のある学生たちには共通体験がありました。それは「襖(ふすま)絵」を描いていたこと。もちろんお城やお寺にある襖絵ではありません。家の襖や壁にのびのびと落書きをしていたのです。中には、壁に釘を打って神棚を取り付けたとか、漆喰を塗り直したとか、とにかく、自分の住む家をキャンバスにしていたのです。

世界を一周して(文字通り一周しました)、スウェーデンで本当のSTEAM教育のあり方を見つけたのですが、よくよく足元を見てみると、日本にも計り知れない可能性があったわけです。STEAMのA、つまりアート教育は子ども時代の体験から始まっています。それは、美術館に行くだけではありません。もちろん美術館に行ったほうがいいのですが、それは1年に一度でも2年に一度でもいいでしょう。

子どものころから、絵筆を握って自由に描く、ねじを回す、壁になにかを貼りつける、そしてその成果を「毎日見る」ことなんです。ジョン・マエダが、子ども時代に豆腐屋のチラシを店に貼り、豆腐を切っていたように。

もし小さいお子さんをおもちの方が、この記事を読んで頂いているとしたら、ぜひお願いしたいことがあります。どうか、部屋の落書きを叱らないでください。どうか、服をボロボロにしても褒めてあげてください。どうか、家を汚く使わせてあげてください。

それが本当のSTEAM教育の入り口です。

取材先一覧

  • ストックホルム・アーランダ空港
  • ストックホルム市内のギャラリー Magasin III Museum & Foundation for Contemporary Art、 Wetterling Gallery、 Fotografiska、 Bonniers Konsthall、 Galleri Magnus Karlsson、 Andréhn-Schiptjenko、 Färgfabriken、 Galleri Charlotte Lund、 Wip Konsthall、 Lars Bohman Gallery、 Gallery Steinsland Berliner、 Galleri Andersson/Sandström、 Young Art、 Galleri Flach、 Designalleriet、 Gun Gallery、 Galerie Nordenhake、 Belenius/Nordenhake、 Snickarbacken 7、 YellowKorner、 Artipelag 他。
  • スウェーデン国立美術館(ストックホルム市)
  • リンショーピン大学(リンショーピン市)
  • 空軍博物館(リンショーピン市)
  • その他
モバイルバージョンを終了